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2004/08/27

報知新聞に関する長年の疑問

巨人戦の視聴率が5%を切ったらしい。
http://athens2004.nikkansports.com/paper/p-ol-tp7-040824-0049.html

そのせいか、巨人の「機関紙」報知新聞も最近元気がない。

報知新聞というと、ずっと疑問に思っていたことがあります。

高校時代に日本史で、

「『(郵便)報知新聞』は、郵便の父である前島 密によって
創刊され、後に立憲改進党の機関紙になった。」

というように習いました(というより「記憶している」と言った方が近いか)。

日本史で受験した人は、必ず覚えたことがあると思います。

その時、こんなこと思いませんでしたか?

「この『報知新聞』って、今の報知新聞(スポーツ報知)は
関係があるのだろうか?
それとも単に同じ名前なだけなのか...」

「もし、今の報知新聞が「報知新聞」の成れの果てだと
すると、いつからスポーツ紙に変わったのだろうか?」

同じことを考えた友人はいましたが、誰もわかるヤツは
いませんでした

当たり前です。
そんなことを調べてる暇な受験生はいません。

最近は便利になって、ネットで検索すれば、すぐにわかる
ようになりました。

でも「いつでもわかる」と思うと案外調べないもんです。

20年の時を経て、ようやくその真相を知ることが出来ました。

結論から言うと、


今の報知新聞は、前島 密が創刊した「郵便報知新聞」の末裔で
ある!

その略歴を見ると、

1872年(明治5年) 「郵便報知新聞」創刊
1877年(明治10年) 西南の役が起こり、後の首相の犬養 毅記者の
「戦地直報」が人気となる。
 
1894年(明治27年) 「報知新聞」に改称。

自由民権運動の衰退とともに売上が低迷し、大衆紙に転向した
のが、この頃です。

1920年(大正9年) 「東京-箱根間往復大学専門学校対抗駅伝競走」を創設。

お正月の「箱根駅伝」を始めたのは、読売新聞ではなく、
報知新聞だったんですね。
ここまでは、独自の新聞文化を築いていた。

明治末から大正にかけた この頃が、戦前の報知新聞の全盛で、東京で
最も売れていた新聞だったそうです。

しかし、朝日新聞や大阪毎日新聞の東京進出から部数を減し、風向き
が悪くなる。

1930年(昭和5年) 講談社に買収される

講談社の下で経営努力を重ねるも、業績は改善せず。

1941年(昭和16年) 講談社 撤退。三木武吉に譲渡。

直後、太平洋戦争が始まり、大きな変化が起こる。

1942年(昭和17年) 新聞統合令で読売新聞と合併し「読売報知」に改称。

ここで読売グループに入ることになった。
これで「箱根駅伝」が読売新聞主催なのか理由がわかりました。

そして、戦後、

1946年(昭和21年) 夕刊紙「新報知」として復刊。
1948年(昭和23年) 名称を「報知新聞」に戻す。

ここまでは、一般紙だったみたいです。
転機が起こるのは、その翌年。

1949年(昭和24年) 12月30日から朝刊のスポーツ紙となる。

日本史の教科書で学んだ報知新聞が、この時、スポーツ新聞
に変わったのである。

NHKの松平 定知アナウンサー風に言えば、
「その時、歴史が動いた」ことになりますね。

感慨深い瞬間です。
「5・15事件」で暗殺された犬養 毅首相が記者をし、
大隈重信が自由民権運動の砦とした報知新聞がスポーツ新聞
になったのですから。

ちなみに、この年、プロ野球「セ」「パ」2リーグに分裂し、
翌年、巨人軍が日本シリーズで初優勝します。

その後の報知新聞の歴史は、みなさんご存じの通りです。

いや~、20年モノの謎が解け、久々に清々しい気持ちです。

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