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2004/11/01

鑑真和上は、来日時、失明していなかった

奈良新聞の報道によると、鑑真和上は、来日時、失明していなかったらしい。

鑑真と言えば、教科書でもゴシック体で必ず出てくる人物である。

唐の名僧であり、日本に戒律を伝えるため、当時の海外渡航の禁
を犯し、5度の遭難など艱難辛苦の末、6度目の航海で日本に辿り
着く。

厳しい旅の影響で失明しつつも、律宗を開き、日本に正しい仏教の
教えを伝えることに努めた。

聖武上皇、孝謙天皇の帰依を受け、東大寺に戒壇を設け、唐招提
寺を建立した。

というのが、教科書で習った鑑真に関するプロフィールである。

しかし、最近の研究では、どうやら完全に失明には至っていなかった
というのである。

奈良国立博物館の西山厚資料室長が正倉院展図録の中で明らか
にしたところによると、正倉院塵芥文書第35巻の「鑑真奉請経巻状」
が鑑真の自筆であるとしている。


この書状は、鑑真が東大寺の良弁に経典の借用を申し出た内容で、
現存する鑑真唯一のものらしい。
鑑真の伝記「唐大和上東征伝」によると、鑑真が失明したのは天平
勝宝2年(750年)。

このため、天平勝宝6年(754年)に書かれたとされる唐の書儀に沿
った書状は、鑑真が指示し、弟子ら別の人物が代筆したとの説が
半ば定説となっていたそうである。

これに対し西山室長は、

(1)だれかが代筆した。

(2)目が見えないまま自ら書いた。

(3)弱いながら視力が残っていて自分で書いた。

との3つの仮説立て、消去法で考察した。

(1)が従来の「定説」。
ただ、現存する弟子たちの筆跡の中に一致するものがない。
また、「華厳経」を「厳経」と略しており、最終行の鑑真の署名が
草書で簡単に記されている。

もし、弟子が代筆したなら略することはしないだろうし、尊敬する師
である鑑真の名を草書などでサラサラっと軽い調子で書くことは考
えにくいとして、代筆の可能性は低いとしている。

(2)の場合、書けないことはない。
しかし、西山室長は、本文中にある「大品経一部」の「部」の訂正
部分に着目。

最初に書いた文字の上をきちんとなぞるような訂正がしてあるという
のだ。このような作業は、目が見えない人には無理である。

(1)と(2)が消えたことで、(3)の「視力は弱っていたかもしれないが、
おぼろげには見えていた」と結論付け、書状が鑑真の自筆である可
能性が高いとしている。

1250年前の書物から、真相を推理するというのも、なかなか奥深い
学問である。

こうした定説を覆すような説が出てくると、今までと違った視点から歴
史を見ることが出来て面白いと思う。

しかし、もしその説が正しいのなら、

「なぜ鑑真が盲目であるとされてきたのか?」
「目が見えていたらマズい理由が鑑真にあったのだろうか?」

この点が気になって仕方がない。

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