昔の中国人は、なぜ袖の長い服を着ていたのか?
ステレオタイプ的に「中国人」のイメージを描くと、頭は弁髪で半球型の帽子をちょこんと乗せている。
裾と袖が長い服を着て、両手を互いの袖に突っ込んでいる。
ツルッとした顔に、細い目と八の字型のドジョウヒゲでニーッと笑うおじさんの姿。
これだけ日本人が多くの中国人と接するようになった今でも目にする。
下の画面中央のキャラクターに注目してほしい。
これなど、ひと昔前の典型的な日本人の持つ中国人像であるといえる。

(ご存じ人気マンガ「キン肉マン」。今でも「週刊プレイボーイ」で続編が連載されている。)
日本人だけでなく、比較的最近の中国映画でも、「中国人像」を連想させるものがある。

(「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地黎明」1997年 香港)
中国の服飾史を調べると、上の「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ」のジャケット写真のように長い袖に長い裾というのは、確かに存在するようである。
では、それはなぜなのか?
高校の時、京劇の研究者から、その理由としてこのような話を聞いた。
漢民族は、「中華思想」で知られるように非常にプライドの高い民族である。
彼らは、自分たちの文化に誇りを持ち、異民族の文化スタイルを取り入れることはなかった。
彼らが裾や袖の長い服を着るのも、
「自分たちは、蛮族と違って武力で物事を解決することはしない。」
ということの現れである。
ただ、一つだけ、彼らが蛮族と蔑む異民族の文化を服に取り込んだ点がある。
それは、上着の裾の横に入れたスリットである。
これだけは、「馬に乗る時に活動的で便利である」という利便性から採用されたのだ。
自分は中国服飾史の専門家ではないので、これが本当に正しいのかどうかはわからない。
国語の漢文で習った孔子の「論語」をはじめ、「孟子」「荀子」「墨子」「老子」「荘子」「孫子」「韓非子」...
2000年以上後の現代でも立派に通用する高い知性と理性と兼ね備えた文化を誇った中国だけに、こういう理由も十分ありそうだ。
ふとしたきっかけで「論語」「老子」などが読みたくなることがある。
時が過ぎ、文明が進むと全てが先に進み、進化したと当たり前のように思っている。
科学技術などは、そうかも知れない。
でも、こと人間の知性や理性といった点ではどうだろうか?
2000年以上前の思想家を超えるどころか、むしろ退化しているのではないかとすら覚える。
古びた漢文の本を読むたびに思うことである。
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LiLi






コメント
>これだけは、「馬に乗る時に活動的で便利である」という利便性から採用されたのだ。
これは誤解ですよ。スリットは、漢民族にとっての蛮族である遊牧民族系が乗馬時の利便性からいれていたものです。
本来、漢民族自身は日本の着物とほぼ同様の衣服を着用していました。(着物。日本人が遣隋使・遣唐使あたりで中国からパクッてきただけ)
漢民族といっても、実は三国時代より後は異民族に圧迫されまた同化してしまっており(隋や唐の皇帝一族ももともとは異民族系です)、本来異民族の服装であったものが、あたかも中国古来のものかのように誤解してしまっているだけです。
投稿: 美濃守@goo | 2005/03/23 16:30
こんばんは、美濃守@gooさん。
コメントありがとうございます。
「ただ、一つだけ、彼らが蛮族と蔑む異民族の文化を服に取り込んだ点がある。
それは、上着の裾の横に入れたスリットである。」
ということを受けて、
「これだけは、『馬に乗る時に活動的で便利である』という利便性から採用されたのだ。」
と説明しているので、美濃守@gooさんがおっしゃっていることと、同じことを書いていると思うのですが。
わかりにくい文章で申し訳ございません。
投稿: cyro | 2005/03/23 19:24
I came to your site accidentially, but found it very good to read. Thanks.
投稿: jimbo | 2005/03/28 22:32
the airfare international one way
投稿: airfare international one way | 2005/07/26 11:29