生身の女性は「気持ち悪い」?
ちょっと興味深い記事を見つけました。
あるデザイン専門学校での出来事。
アニメ作家を志望する1年生のヌードデッサンの授業で、気分が悪くなって退室する生徒が続出するという「事件」が起こりました。
慣れないことで緊張したからと思いきや、そうではないらしいのです。
どうやら別の理由があるといいます。
その理由とは…
生身の肉体と二次元アニメで描かれる「理想的な」女の子とのギャップに耐えられなくて、気分が悪くなった。
のだそうです。
記事には、こう書かれています。
アニメ作家志望の彼らには“理想的な女の子”が頭にインプットされている。画面からはみ出すほど長い脚や、 ほっそりとした腰の女体。ところがナマの女体はそれとは違う。(鍛えているとはいえ)モデルには脂肪もあれば、シワもあるし、毛もある。三次元のモデルの 肉体には、二次元アニメでは省かれがちなそういった“ノイズ”が過剰にある。そのため、ナマの肉体と理想的な女の子とのギャップに耐えきれず、気分を悪く して退室するというのだ。
そしてそればかりか、目の前の裸体とはまるで異なる“アニメの女の子”を、うつむいてスケッチブックに描く学生もいたという。
究極のイデア主義ですね。
叶姉妹のアニメが売れなかった理由もわかります。
リアル感覚絶対主義の自分には、ちょっと信じられないことですが、こういう現象が起こっていても決して不思議ではありません。
実際に、紙やテレビ画面の中から「理想的な女の子」を選んだり、コンピューターが作り出す仮想現実の中では遊ぶことだって出来ます。
全く現実の女の子に触れなくても、十分過ぎるほど、彼らの欲求を満たすことは出来てしまいます。
こういった傾向がさらに進むと、アニメやゲームの中にあるリアルさすらもノイズとされて、不要になっていくかも知れません。
自分が欲するものだけを必要とする人には、行き過ぎたリアルさは不純物でしかなく、エッセンスだけを抽出してデフォルメして、好みの要素を自由に補う方が心地よいはずです。
似たような例を思い出しました。
それは仏像です。
かつて、写実性を極めた後に、一転抽象的なものに変わっています。
奈良時代の写実的な天平仏が、平安時代に入ると抽象化した様式美に変わったような感じです。
一説では、これはあまりにも「人」に近づき過ぎたために俗っぽくなり、有り難みが薄れたので、「三十二相八十種好」のような仏の特徴を示す必要な要素だけをピックアップした様式美に進んだといいます。
アニメやゲームの「理想的な」女の子は、さしずめ平安仏のようなものでしょうか。
おもしろいもので、抽象化が進んだ後、鎌倉時代になると、その反動のように写実的になります。
もしかすると、行き着くところまでいくと、再び生身の女性に「理想的な」女の子を求める時代が来るかもしれません。
自分は、あったとしても、日本人の男子が兵隊として戦場に行くくらい劇的に社会環境が変わるようなことがなければ、相当先のことになりそうな気がします。
みなさんはどのように思いますか?
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