決裁者には「不作為の罪」を!
再びメールのやり取りから。
良いものを作るには、どの業界でも努力と下積みといった経験値の蓄積が必要なんでしょうね。(マルクスでいうところの「資本の原始蓄積」みたいなものですね。)
ひとつひとつの仕事を確実にこなして、相手の期待に応えることで信頼を獲得して、人脈を広げて…本当に地道なことです。
これらがあることが基本的な大前提で、その上に「独自の視点」と「情報の早さ」があって、最後にそれを実行する決断力と機動力が大切なんだと思います。
相手に対して、資金や場所、コネクションや機会の提供など、何か大きなメリットが与えられるのなら、短縮出来る項目はありますが、そうじゃなければ、時間と手間をかけて築き挙げていくしかありません。
しかし、全部の条件が揃ったとしても油断は禁物。
たとえ奇跡のような条件が揃って、いざ実行する段になって、稟議書を書いた時に、それ判断する人たちが、とんでもない決裁者だったら大変です。
例えば、その人たちが、
「ペ・ヨンジュンって誰?」
とか
「アカデミー賞って、日本アカデミー賞のことでしょ?」
と真顔で言うくらいエンターテイメント業界に疎い人(これはあくまでもたとえ話です)だったら、それは悲劇です。
正攻法で進めていくと、説明しているうちにブームが終わるどころか、2巡してしまい(笑)、全ては泡と消えてしまいます。
明確な理由があって、ダメならダメと判断するなら、それはそれで仕方ありません。
「よくわからないから、やらない方がいい」というのは、まだいい方で、多くは聞いたまま放置か、判断出来ずにのらりくらりと…
知識がないから、自信がないわけです。(だったら、信用出来る詳しい人に聞くとか、もっと勉強すればいいと思いますが)
その時の悔しさは、半端なものではありませんよ。
普通にやってれば、確実に金も名誉も得られたのですから。
ノーアウトフルベースで1点も入らなかったようなものです。
それでも、決裁者は、何か失敗したわけではないので、何も咎められることはありませんし、普段と変わらぬ生活をしています。
もしかすると、自分が判断しなかったことで、利益が得られなかったのに後ろめたさを感じることもないかも知れません。
「ウチがやっても上手くいったかどうかわからない。」
という都合の良い言い訳をして。
ビジネスの現場において、何かをして失敗することは傍目にもわかりやすく、失敗した時は、しつこいくらい責任を追求されます。
しかし、何もしなかったことで勝ちを得られなかったこと、それを繰り返して、会社を衰亡させてしまったことに対する責任は、もっと問われていいのではないのでしょうか?
法律にも「不作為の罪」というものがあります。
何度も被害をこうむった経験があるだけに、この「不作為の罪」をビジネスの場にも、きっちり適用することは出来ないものかと常々思いますね。
決裁者に「不作為の罪」を!
減点主義の人事評価制度だと、こういう人がたくさん残ってしまうのも大きな弊害ですし、結果的には組織の活力も奪われてしまいます。
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