それは「せきずい」なのか?それとも「せきずい」ではないのか?
それは「せきずい」なのか?それとも「せきずい」ではないのか?
今年8月をもって活動を休止したロックバンド『せきずい』。
去る9月8日にGt.& Vo.マルヤマゴウの脱退が発表されました。
バンドの創業者であり、楽曲のほとんどの作曲作詞を担当し、メインボーカルを務め、MCも仕切るといった、このバンドを代表するメンバーでした。
その彼がいなくなり、残る4人で音楽活動を続けることになりました。
ホームページやブログへのコメントは、ゴウの新しい夢への応援と『せきずい』に残ったDrs.リョウ、Gt.テツヲ、Bass カズヒロ、Key. ヨシアキが引き続き音楽活動を続けることへの好意的なコメントがあふれています。
しかし、その中にあっても行間には、
それは「せきずい」なのか?それとも「せきずい」ではないのか?
の思いがにじんでいるように感じます。
『せきずい』ファンのブログなどでは、真剣にそのことに悩む姿が見受けられました。
想いが深い人ほど、その傾向が強いようです。
実は、この記事を書こうと思ったのも、『せきずい』ファン仲間の日記に触発されたからである。(実は、この記事のタイトルも彼女の日記からのオマージュだったりします。)
自分は、大きな声で断言出来ます。
「4人になっても『せきずい』は、『せきずい』である」
迷いなくはっきりと。
理論立てて、カッコいい言葉で言う能力がないので、例え話で説明します。
カツ丼から、カツが消えたら、それはもはや名実ともにカツ丼とは言えません。
では、カレーライスから、ジャガイモやニンジンが抜けたら、それはカレーライスではなくなるのか?
肉が抜けたって、カレーであることには変わりはありません。
それが違うものになったと言う人はいません。
『せきずい』もそういうものだと思うのです。
『せきずい』は、マルヤマゴウ+バックバンドではありません。
ゴウ、リョウ、テツヲ、カズヒロ、 ヨシアキといった、それぞれ魅力ある個性と才能を持った5人のキャラクターが集まって、『せきずい』というバンドを構成し、多くの人を惹きつけて来ました。
ファンの人なら、みんな誰もが「そうだと」うなずいてくれるはずです。
先のカレーの例えで、この先を考えてみましょう。
肉が抜けたら、野菜カレーの店で売り出せばいい。
あるいは、野菜が全部なくなって肉だけになったというなら、キーマカレーで売り出せばいい。
個々の素材に価値があるから、例え1つの要素が欠けたとしても、十分に戦えます。
(そう考えると、全てが揃っていた5人の『せきずい』は、改めてすごかったと思います。)
いずれも一騎当千の強者たちです。
それぞれに与えられた役割は重くなりますが、自分は、まだまだ多くの可能性を秘めていると思っています。
自分は、例え『せきずい』という名前が変わることがあっても(あくまでも極端な例えですのでご容赦ください!)、本質が変わってなければ、それでもいいのではないかと思うのです。
なじみのお店でいつものお気に入りのカレー目の前に出された時、それが、「野菜カレー」と呼ばれようが、英語で「ベジタブルカレー」と書かれていようが、インド式に「シャヒ ベジ マカニ」と言われようが、気にならないでしょう?
大切なのは、形ではなく本質。
本質が少しも変わっていないのに、どうして迷うことがあるでしょうか?
そう思いませんか?
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