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2010/12/23

『坂の上の雲』に触発されて

『坂の上の雲』に触発されて、今日は朝から東京・根岸にある俳人 正岡子規の旧居 子規庵へ。

今日は、蕪村忌(子規が生前、与謝蕪村の命日に開催していた)が行われるということで、風呂吹き大根(先着100名様)とココアが来庵者に振る舞われ、自分もしっかりいただいて参りました。

なぜココアかというと、子規が好きだったかららしいです。
日本で最初に森永製菓がココアを作ったのが、1919年(大正8年)。
子規が亡くなった17年後。

森永製菓のホームページには、

欧米で昔から飲まれてきた栄養豊富なココア を日本に広めたい、高級品で手の出なかったココアを日本人にも飲んでもらいたい。
そんな願いをこめて1919(大正8)年、当社は国産初のミルクココアを発売しました。
しかし発売当時、ココアは、なじみがない時代だったためなかなか受け入れてもらえませんでした。
当時はなんとか栄養豊富でおいしい飲み物として広めようと、いろいろな広告・パブリシティ活動を積極的に展開して、マーケットを育成していきました。

とあります。

脊椎カリエスを病んで動けなかったせいか、食べ物に対する執着が人並み以上だった子規ですが、味覚としてもずいぶん進んでいたようです。
もし、日本初のココアが発売された時に子規が存命だったら、今に残るすばらしい句を詠んだのではないかと思うと残念です。

残念ながら、子規庵の中は撮影禁止。
子規の臨終の間に同じように寝ころばせていただき、窓越しに彼が見た小宇宙を体験したりなど、得難い経験をすることが出来ました。

その後、子規や漱石が歩いた道を歩こうと昔の地図を頼りに徘徊しましたが、思うように行きません。

空襲で根岸界隈(子規庵も土蔵を残して焼失。今の建物は復元されたもの。)は焼けてしまい、その後、明治の文人が暮らした前田家や諏訪家の屋敷跡はラブホテル街に。

辛うじて、八二神社の梅鉢紋に前田家の名残を見つけるのが精一杯。

道も戦後の区画整理や道路拡張のために昔とは全く変わっていて、古い地図が全然役に立ちませんでした。

ラブホテル街で怪しげな人たちがいるので、一眼レフを持ってうろつくのもはばかられる環境で、写真も撮れず仕舞い。
辛うじて、近くにある「ねぎし三平堂」の外観を撮影。

『坂の上の雲』に触発されて
(昭和の爆笑王 林家三平の博物館)

『坂の上の雲』に触発されて
(看板拡大図)

『坂の上の雲』に触発されて
(残念ながら開いてませんでしたが、看板ひとつも粋です。)

ブラタモリのようにはうまくは行かないものですが、それでも歴史好きには楽しい1日になりました。


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