「バンザイ突撃」の合理性
今日は、久しぶりに少し体を動かしてみようと、ジムに行ってみたら、お休みでした。
ついていません。
せっかく、やる気になったのに、すっかり水を差された感じです。
仕方がないので、本の山を片づけることにしました。
最初に手を付けたのが、『歴史群像アーカイブ18 太平洋島嶼戦』。
歴史を楽しむには、学研の『歴史群像』シリーズは、欠かせません。
そういういえば、昔、作家の田中芳樹さんの仕事場にお邪魔した時、このシリーズが壁面の本棚を埋めつくしていたのを思い出しました。
「多彩なジャンルの作品を数多く出すためには、あれだけのものを読み込まないと、書けないのか」と感嘆したものです。
この本は、ガダルカナル島、タラワ島、サイパン島、ペリュリュー島、硫黄島、そして、沖縄での戦いを詳細な図表と資料でまとめたもの。
島嶼攻略だけに絞ったマニアックな本ですが、メカだけに留まらず、戦術論の解説が知的好奇心を満たしてくれます。
戦争末期の「バンザイ突撃」の名で知られる、日本陸軍の白兵突撃も実は、第一次世界大戦の教訓を活かした合理的なものだったというのは、新しい発見でした。
第一次世界大戦後半には、突撃は、それまでの横隊散兵を重畳化させたものから、軽機関銃を先頭にした多数の小部隊を各個に進ませるものに変化。
日本陸軍もこの戦闘群戦法に対応するため、大戦終了の5年を経た1922年(大正11年)には、十一年式軽機関銃を制式化したといいます。
そして、戦い方も、このように変わります。
1. 砲兵の急襲射撃
2. 敵が立ち直らないうちに歩兵用銃火器(歩兵砲、重機関銃)を持った歩兵部隊が各個に進撃。
3. 歩兵用銃火器が敵の火点(大砲や機関銃を撃ってきているところ)を潰している間に軽機関銃を持った部隊が突撃する。
実は、基本部分は、ドイツなどの欧米諸国と基本的には同じ戦法だったのです。
「第一次世界大戦で大きく戦い方が変わった(局地戦から国家総力戦、潜水艦や戦車、飛行機の出現、など)のに、日本は日露戦争当時のままのやり方だった」と、ずっと聞いていただけに意外な感じがしました。
では、何が違っていたのか?
日本陸軍は、敵よりも自軍の方が機動力、砲弾量を含めた装備が劣っているという認識が前提になっていたので、奇襲重視と敵の弱点を衝くことを重視していたのです。
だから、敵の防備が厚いところと、前哨拠点の間を、音を立てずに夜の闇に紛れて抜けて行き、火器を使わずに白兵をもって、敵の主陣地に殺到し、制圧するという戦法が多くとられたわけです。
本来であれば、火力を重視した戦いになっていかなければいけないのですが、このやり方で勝利が続いていたため、装備の導入と機動力を増すための機械化が遅れてしまいました。
その結果、「必勝の信念」での突撃が教条化され、最後には「バンザイ突撃」につながったわけです。
こう考えると、成功することが最終的に良い結果に結びつくわけではないというのがわかります。
緒戦での白兵突撃の成功率が低かったら、「『必勝の信念』があっても、火力を重視した戦法じゃないと勝てない。」ことがわかったでしょうし、そうだったら、無謀な「バンザイ突撃」は減っていて、いたずらに命を粗末にするような不幸な戦い方は減っていたはずですから。
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