濱口雄幸首相遭難の場所
週末にふらりと降りた東京駅。
コンコースを歩いていると、柱にこんなプレートが。
普段何気なく歩いている場所にも歴史があるんですね。
教科書だと、濱口首相は東京駅で襲撃されて亡くなったみたいに書かれていますが、実はそうではなかったりします。
確かに重傷ではありましたが、治るはずのものでした。
当時は民政党と政友会の二大政党の時代。
さらに軍縮(ロンドン海軍軍縮条約)や財政再建(緊縮財政)、景気対策、通貨制度(金解禁=金本位制度への復帰)など、重大案件が山積みでした。
(後に首相になった)若槻礼二郎首相代行もがんばったけれど審議は難航。
野党の政友会(というよりは鳩山一郎=ルーピー鳩山元総理の祖父)は、
「こんな時に首相が出て来ないとは何事だ。」
とイチャモンを付けて、さらに国会は混沌。
濱口首相はケガを押して、国会に登院。
結局、この時の無理が祟って、数ヶ月後に亡くなることになります。
(濱口首相の孫と鳩山一郎の外孫が結婚するんですからわからないものです。あと、濱口首相の孫娘は皇后陛下のお兄様の奥方だったりします。この辺が閨閥って感じがしますね。)
国民の生活にかかわる重要な案件がたくさんあるのに、政党や政治家は党利党略に走ってばかりでした。
(勢力を拡大するために軍と結びついた結果が、軍の暴走につながり、政党政治を終わらせてしまったわけですが)
何だか今とよく似ています。
濱口首相遭難の場所に立って、改めてそう感じ、この国の行く末を考えてしまいました。
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