徳川将軍 小杉御殿跡
市内に徳川家康の鷹狩り御殿があったというのは、中原街道のクランクを車で何度も通っているので大体の場所は知っていましたが、詳しい位置はわかりませんでした。
(地図上に「西明寺」と書いてある辺りのガギ型のクランクは、御殿防衛のために作られました。「小杉御殿町」の名はありますが、それらしき建物や遺構は車からは見えません。)
天気も良かったので、車から降りて、ちょっと寄り道をしてみました。
西明寺は、車からも見えていたので、すぐに見つかりました。
(参道入口の古い塔に江戸の名残を感じますが、周りは民家しかありません。)
(そして、塔の下に「徳川将軍小杉御殿跡」の碑。期待は膨らみます。)
(将軍滞在中は、警護の武士がいたと思われますが、そんなに大きなお寺ではありません。)
(普通の住宅地で、携帯で写真を撮っていると不思議そうな顔で見られました。)
往時は、1万2000坪(約4万平方メートル!)もの広さを誇った小杉御殿ですが、今は、それを感じさせる建物や遺構は見つかりません。
(御殿の遺構はありませんが、参道脇に二宮金次郎像はありました。どこかの小学校にあったのでしょうか?)
(戦前のものかと思いましたが、比較的新しいような気がします。)
周囲を徘徊してみると、住宅地の奥まったところに赤い鳥居が見えました。
細い道の奥、アパートの隣に不自然な形で稲荷鳥居と祠があります。
これは怪しい。
もしかしたら、何か手がかりがあるかも知れません。
(木と駐車している車が邪魔で祠がうまく撮れない。)
祠のすぐ右脇に川崎市が設置した案内板がありました。
「小杉御殿の御主殿跡」と書いてあります。
御主殿とは、御殿の中心となる建物のことだそうです。
何かあると思いましたが、やはりそうだったんですね。
(川崎市が設置した案内板。ここに小杉御殿の中心となる建物があったそうです。)
しかし、徳川家康が鷹狩りや駿府と江戸の行き来の際に泊まった場所であり、二代将軍 秀忠も使った防御設備を備えた大きな施設であったにも関わらず、これくらいしか遺構が残っていないのは、正直がっかりでした。
せめて、近隣の寺社に御殿の門や建物が移築されて残っていればよかったのですが。
(記録によると、品川の東海寺(京急線新馬場駅近く)に移築されたそうですが。)
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