スティーブ・ジョブズでさえも「煩悩具足の凡夫」だった
朝日新聞11月6日朝刊の読書欄に『スティーブ・ジョブズI・II』(ウォルター・アイザックソン著)の書評が掲載されていた。
(上下巻、各1,995円もする。でも、ベストセラーになっている。)
話題の書だけなら読まないが、興味のある人の話。
しかし、分厚いし、上下巻だと4,000円。
お金もかかるし、それ以上に時間がかかるので、買って読もうかどうしようか迷っていたが、評論家の山形浩生氏の評で今は買わないことにした。
店頭でパラパラと読んだ時に感じた印象と同じだったからだ。
ポイントは、こんな感じ。
「本書には細かなエピソード以外は、新しい知識や発見はない」
「何とか新規性を出すべく瑣末なエピソードを詰め込んだせいで、本書は選ぶ分厚い。」
「既存のビジネス書と差別化しようとしたのか、無意味なセレブばかり登場して水増し気味」
これがこの本の本質を物語っていると思う。
熱狂的なジョブズファンなら読む価値はあるだろうが、そこまでのものは望んでいないので、自分は見送った。
文庫になる頃には、もっと多くの情報が集まって、冷静に違った形で読めるはずだ。
その時期を待ちたい。
山形氏の評の中でおもしろかった部分を引用する。
彼は学習効果のない人物で、
公私ともに何か思いつく
→関係者を怒らせる
→まわりを丸め込む
→無茶を連発して嫌われる
→実現か失敗
→あたり散らして愛想をつかされる
ジョブズの一生とは、これの繰り返しだというのだ。
マイコンブームの影響を受け、社会人になってから、ずっとコンピューター業界にいるので、リアルタイムでアップルとスティーブ・ジョブズの話は知っているが、言われてみれば確かにその通りだ。
でも、彼に限らず、人間の一生というものは、多かれ少なかれ、学習効果なく、同じことの繰り返しなのではないだろうか?
我が身を振り返りつつ、ふとそのようなことを思うのである。
「わかっちゃいるけどやめられない」
古くは、親鸞上人がおっしゃる通り、人は「煩悩具足の凡夫」。
スティーブ・ジョブズという世界的な人物でさえ、そうだった。
人が神や仏でない限り、それは当然である。
だから、人はそれを認識することから、全てが始まるのだ。
講談社 (2011-10-14)
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