« 大企業病、それは「死に至る病」 | トップページ | ソーシャルゲームも「下流喰いビジネス」に成り果てたか? »

2012/02/25

反原発だけが無責任?原発推進論者も無責任ではないのか

この記事に対するtwitterのつぶやきを読むと、意外にも肯定的な意見の方が多くて驚いた。

■民主主義の成熟度が試されている 東京の環八、千葉の成田空港問題と同じ「原発反対」

「対案のない反対は無責任」
「(原発なしで)現在の生活レベルを維持するということであれば、25%分は化石燃料に頼らざるを得ない」

非常にわかりやすい言葉だ。
それ自体は正論である。

しかし、原発が事故を起した時の対応策はどうなのか?

事故が起こった時の完璧な対応策がないままの原発推進は無責任ではないのか?
「想定外」の自然災害には人間の考えた安全装置は無力だったし、暴走した核エネルギーには手がつけられなかった。
事故後、様々な事実がわかって、福島第一原発が今の程度で済んだのが奇跡に近いのを忘れたのだろうか?
原発事故による放射性物質は、数十年から数千年単位で国土を汚染し、そこに住む人間だけでなく、あらゆる生きとし生けるものを苦しめる。

ひと度大きな事故が起これば、日本という国を滅亡に導くだけでなく、地球規模で重篤な被害が拡散する。
それらに対する責任はどう負うのか?
被害に対する賠償は?
国内だけでなく、周辺国から損害賠償の請求書が突き付けられる。
それらのリスクをクリア出来る手立てがないままの原発推進論は、極めて無責任である。

自動車賠償責任保険や任意保険に入るお金がないのなら、クルマを運転してはいけないのと同じように、事故に対する万全な策(少なくとも合理的な範囲で現状復旧が出来るレベル)がない限りは、原発を運転してはいけないと自分は考える。


東京に原発を! (集英社文庫)
広瀬 隆
集英社
売り上げランキング: 66141

|

« 大企業病、それは「死に至る病」 | トップページ | ソーシャルゲームも「下流喰いビジネス」に成り果てたか? »

コメント

それこそ正論でしょうが・・・もう少し現実的な解決を探る必要があると思います。
個人的には生きるためには何らかのリスクは必要というのが持論です。放射能の安全性を説くつもりはありませんが、賛成反対に二分する議論にはいささかついていけません。

①事故が起こった時の完璧な対応策・・・
そもそもどんな事故に対しても完璧なものがあるのか?どんなことでも利便性との交換ではないか。とくに日本の国情を考えると、超大国における核弾頭みたいなものだと思います。言い換えれば必要悪です。

②放射性物質は、・・あらゆる生きとし生けるものを苦しめる。
決して放射能を肯定するつもりはありませんがチェルノブイリ周辺が自然保護区域に指定されようとしている現実をご存知でしょうか?

③自動車賠償責任保険や任意保険に入るお金がないのなら、クルマを運転してはいけない・・・・
なら戦争はどうなるんでしょうか?こちらは別の法律があります。私はそもそも原発は国営でやるべきと思っております。1私企業に責任を押し付けるやりかたには無理があります。今回の事故は一種の戦争と考えるべきでしょう。そう思えば違った見方が出来ませんか?

概ね反原発を声高に唱える方は、それによって利益を得る自然エネルギ産業や研究機関の方々、次にそこそこ安定した生活を送って、少し景気が悪くても自分は何とかなると思っている人々、さらにそういう活動を生業にしている人、これが極端で厄介です。隠し事をした政府が悪いのは確かですが、そういう方向に追いやった責任というのも見過ごせないと思います。
もっと真摯な姿勢で国家の安全、未来を考えれば反対一辺倒ではことは成り立たないと思います。

とくに以下の点が解決しない限り日本にとって原子力をなくすという選択肢はありえないと考えます。
①いま原発を停止すると大量の燃料が未使用状態で放置されることへの対策は?
これも不思議です。最終処分が決まってないからやめろで済むわけも無いのに、まるで太平翼賛会みたいに脱原発で声を揃えるマスコミにはいささか恐怖を感じます。どうせ処分場を作るというと叉反対するでしょう。誰かの責任にするのではなく、どうしたら最終処分場を決めれるかを考えるのもマスコミの仕事ではないでしょうか。人の揚げ足を取るばかりでは物事が進みません。マスコミも姿勢転換を望みます。

②脱原発への可能性ではなく、実現へのロードマップはあるのか?ここが一番無責任といわれる所以でしょう。
③原発は高いのだといいながら、なぜ自然エネルギーがより高価なのか?この矛盾にはマスコミは口をつぐんでいます。下手をすれば莫大な土地と開発費がどぶに捨てられることに気がついているのでしょうか?科学的な根拠を示して欲しい。
たぶん原子力村が自然エネルギー村になるだけでしょう。
④化石燃料についてはインド、中国の台頭による化石燃料の高騰に対応できるのか?さらに、化石燃料枯渇に対してどう対処するのか?
⑤原子力技術者の海外流出
行き場を失ったエンジニアは世界レベルでの脱原発が進まなければ中国、インド、ソ連に流れるでしょう。
このことがなにを意味するかご理解いただけますか?

疑問はつきません。
今回のことはこういうことを真剣に考えてこなかった日本人全員の責任と思います。
脱原発は結構ですが在庫の核燃料をどうするかも含めて考えれば少なくとも40年は原発を無くすことは不可能です、いまは、どうすれば安全なシステムが構築できるかを考えるべきではないかと思います。
化石燃料が近未来で枯渇するのも確かでしょう。何故か放射能については10万年先の心配をされる人が近未来に起きるであろう、化石燃料の枯渇やCO2問題になると楽天的になる偏向振りにも納得できません。原発や放射能には科学的根拠を求めるのに、こちらには感覚論でOKです。
国力の低下は中間層を貧困層に、貧困層を更なる貧困に導きます。そのことが極東地域の安定を脅かす結果を招くことは明らかです。
未来への責任はなにも放射能だけではないと言うことをお伝えしたいと思います。


徒然なるまま書いたので誤字脱字はお許しの程を!

投稿: なでしこジャパンおやじ | 2012/05/04 10:50

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 反原発だけが無責任?原発推進論者も無責任ではないのか:

« 大企業病、それは「死に至る病」 | トップページ | ソーシャルゲームも「下流喰いビジネス」に成り果てたか? »