自分のいない明日
「来年の今日、自分はこの世にいない。」
と仮定してみる。
そういう前提で周りの話を聞くと、聞き慣れた話やいつもなら聞き流してしまうことも違った感じに響くから不思議だ。
何ひとつ変わっていない。
いつもと同じ退屈な日常なのに。
ただ、自分の中での定義付けをちょっと変えてみただけ。
これは極端な例だけど、似たようなことは結構あるのではないか?
「当たり前」も「特別な日」も、
「好き」も「嫌い」も、
そして、「正」も「悪」も。
みんな自分の中の意識が作り出した幻に過ぎないような気がする。
だったら、悪い方にちまちま考えるのもばからしい。
思いっきり楽天的にハッタリかまして生きていいはずだ。
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