未だ覚めず池塘春草の夢
本日は、自分の誕生日。
朝から実家の父母や妹弟をはじめ、多くのお祝いの言葉をいただきました。
この場を借りて、改めて御礼申し上げます。
子供の頃や学生時代の友人からのメッセージを読んでいて、ふと昔、国語の教科書に載っていた漢詩を思い出しました。
『偶成』 朱熹
少年老い易く 学成り難し
一寸の光陰軽んずべからず
未だ覚めず池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢
階前の梧葉(ごよう)已(すで)に秋声
「少年老い易く 学成り難し」と「一寸の光陰軽んずべからず」は、よく知られた言葉ですが、実は同じ漢詩からの引用だったりします。
誕生日を迎えて、今の気持ちを踏まえてこの詩を意訳してみようと思います。
まだまだ若いと思っていたのに、気が付くとこんな年になってしまった。
それなのに志はとても成し遂げたといえるような状態じゃない。
時間だけが、あっと言う間に過ぎてしまった感じだ。
今も懸命に若い頃の夢を追いかけ続けている。それだけは変わらない。
でも、ふと立ち止まるともう人生の盛りは過ぎ、下り坂を迎えようとしている自分に気づかされるのだ。
こんなことを書くと悲観的なように見えてしまいますが、自分の性格では、きっとそうならないと思ってます。
たぶん、庭先の桐の葉が全部散ってしまっても、少年の頃、暖かい春の日に池のほとりの堤の柔らかな草の上でうたた寝をした時に見た夢を追いかけ続けている、そんなジジイになっているような気がします。
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